対馬ナースNews NEWS

2024.12.15

★☆福島看護部長 インタビュー企画☆★

 

𖤣𖥧𖥣𖡡𖥧𖤣リポスト企画ᝰ✍︎ ꙳⋆
 
対馬ナースInstagramを始めて1年半がすぎ、
フォロワー2000人を達成し、投稿数も600を超えました。

そこで今回はリポスト企画として、現:福島看護部長へ、
昨年(R5)度、副看護部長時代に行ったインタビューを再掲載!!
当院看護部長の、看護師を目指したきっかけや想いを
ぜひぜひご一読ください!!

 
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✦看護師を目指したのはいつ?
高校3年生の時



✦看護師を目指したきっかけは?
高校2年生の終わりに進路も決めておらず、親と話して大学進学は断念。
とにかく対馬を出たいという思いから、担任の先生に勧められ看護学校行きを決意。

島脱出成功 ꐕꐕ︎ ィェーィ꙳⋆



★対馬の病院に就職したきっかけは何ですか?
これも担任の先生からの提案で、当時は現在のような奨学金制度ではなく、
病院に就職した形で3年間看護学校に行かせてもらえました。

・・・当然、就職先は対馬に戻ることになりました。
島脱出、つかの間。。。𓀡w



✦看護学生時代、1番辛かったことは?
術後寝たきりだった患者さんが、受け持ち後に、歩けるようになったのですが、
歩行訓練中に転倒させてしまったことがあります。
転倒によるケガはなく、すぐに退院できたのですが一年生だっただけに、
この先看護師を目指していいのか真剣に考えました。




✦看護師になって大変だったことは?
泣いたことは沢山ありますが、本当にきつかったのは、
人間関係で1度だけ。それもまた、思い出です。




✦対馬病院の看護師として、想うことは?
対馬に戻った当初は、離島の小さな病院に勤めるのが嫌でした。
同級生と仕事の内容や給与の話をすると、その格差を感じ、
自分だけが取り残された感覚になったことを今でも覚えています。

今と違い設備も不十分で、患者さんの治療について「対馬じゃなかったら」と
思うことがたくさんありました。
生まれ育ったところ・住んでいるところが離島というだけで、
十分な治療を受けられないことに不平等さを感じていました。


経験を重ねるにつれ、焦りや不安はなくなり、対馬の病院でしかできないこと、
島の人のために自分ができることについて考えるようになり、今に至ります。


「看護師になりたい」という、特別な想いもないままこの仕事を選び、
30年以上続けてこれたということは、たまたま自分に合っていた「適職」だったと
思うことにしています。


看護師として、島の病院の看護師として、つらいこと以上に、
楽しいことや嬉しいことも沢山経験しました。
先輩方や共に働く職員に学び、家族や島の人に助けられ、今の自分があります。

 今(昨年のインタビュー時点)私は、柄にもなく「教育担当」をしています。
離島だからと、学ぶ機会が少ないわけでないので、
看護師スタッフには、患者さんのために、常に学び続けて欲しいと思っています。
また、私自身も後輩の看護師たちに、先輩としての背中を見せながら、
その前を進める看護師でいようと思います。







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突撃インタビューでしたが、思った以上に熱い話が聞けました。
職員それぞれが、色々な経験を経て今に至り、
対馬病院を支える大切な力となっています。

ご協力ありがとうございました!

ᝰ✍︎ ꙳⋆編集R ᝰ✍︎ ꙳⋆

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